イエスという男
第2版 (増補改訂版)、 作品社、 2004年6月10日発行
四六判430頁、 図版2枚、 索引
定価 2800円 (消費税別)
現在第10刷 (2015年4月発行)
第7刷での誤記の訂正、この頁の最後にのっています。
☆ ☆ ☆ ☆
第1版 (三一書房版) は、 1980年3月に第1刷を発行して以来、 おかげさまで、
23刷 (1999年12月) を重ね、 3万冊近く発行しました。 (本当のところ、
私はこの種のことが弱いので、 どこかにメモで23刷と書いてあったので、 多分そうだろうと思います。)
いろいろな事情で、 もう第1版をそのまま発行し続けるわけにもいかず、 読み直してみると、
表記表現上もかなりな訂正を必要としますので、 この際思い切って、 新たに原稿を全部書き直しました。
と言っても、 第1版の文章をそのままワープロで入力しなおしただけですが、
そういう作業をやっていると、 いろいろ書き直したくなるもので、 表記表現上の訂正だけでなく、
かなりな増補、 改訂になりました。 索引もだいぶ使い易くなったはずです。
詳しくは下記を御覧下さい。
文章を直しただけでなく、 編集割付上、 だいぶ良くなりました。 特に、 字間行間に少し余裕を持たせましたので、
ずい分と読み易くなったはずです。 しかしその分 (更に増補分も結構多いし)、
かなり頁数が増えました。 それにもかかわらず、 作品社の方が努力してくれて、
旧版 (第1刷2000円、 第23刷2800円) と同じ定価で発行してくれることになりました。
感謝。
初版ですでにこれだけ売れた本ですから、 第2版となるとあまり多く売れることが期待できそうもありませんが、 それをこの定価で出してくれて、 まことに有難いことです。 身勝手なお願いですが、 皆さんもまわりの方々に、 だいぶ読み易くなったから、 まだ持っていなかったらこの際買ったら? と声をかけて下されば幸いです。
すでに御存じの方が多いので、 内容紹介はここでは書きません。
以下、 第1版をお持ちの方のために、 どこがどう変ったか、 記しておきます。
第1版には数字の誤記もまだ結構残っていましたので、 その訂正表も記しておきます。
* * * * * *
第1版との相違について
(1) 第2版への後書より抜粋 (頁、行数の指摘は、 ここでは第1版のものにしてあります)
改訂版と言っても、 かなり書き直してしまったとも言えるし、 ほとんど書き直していないとも言える。
さすがに発行後24年もたつと、 そもそも比較的古い表記を好む私の文章の表記は、
今様にあわせてだいぶ修正せざるをえなくなる (漢字、 多少の仮名づかい。
例、 譬話 → 譬え話。 反撥 → 反発。 「反撥」 を 「反発」 などと書いたのでは、
まるで反撥することにならないが、 表記の流行ばかりは大勢に順応せざるをえない)。
しかしそれだけでなく、 読み直してみると、 文章が下手で、 わかりにくいところが目立つ。
純粋な間違い(漢字の使い方、 「てにをは」 の間違い、 など) だけでなく、
文章がひっかかってすらすら読み通せないところ、 論理的にもう少しすっきりいかないところ、
など。 そういう部分は、 ある程度手を加えたので、 だいぶ読みやすくなったはずである。
あるいは、 曖昧な表現をすっきりと強調した文に、 逆に強調しすぎているところを多少穏やかに。
というわけで、 全体として平均すれば、 1頁につき4、5個所ぐらい、 あるいはもっと多く訂正されている。
文章の流れが悪いので、 思い切って、 1、 2頁まるごと書き変えたところもある。
しかし、 内容的には原則として一切変更を加えないようにした。 すでに発行して世の中に出まわってしまった本は、
著者自身からも独立した存在となっている。 著者といえども勝手に変更してよいものではあるまい。
それはもちろん、 今読み直せば、 いろいろ欠点も多く目につく。 しかし他方、
よくこれだけの本を書いたね、 と自分でも感心するところも多い。 もしも今まったく新たに書き下ろせば、
半分はこれよりもだいぶましな本になるだろうけれども、 残りの半分は、 せっかくのこの本の長所を削ることになるだろう。
従って、 やはり、 すでに自立した存在になっている本は、 文章を読みやすくする以外は、
なるべく書き直しを避けるのが正しいのだろう。 そして、 多く書き直したとは言っても、
本書第1版をお読みになった方がこの改訂版をごらんになっても、 ほとんどすべての個所は、
訂正されていることに気がつかずに、 何だ同じではないか、 とお思いになって読み進められることだろう。
第1版では、 刷りを重ねるごとに不注意の数字の間違い等を直していったけれども、
まだ何ほどか残っていた。 まことに申し訳ないことである。 今回、 気がつく限り訂正した。
たとえば196頁8行目 (千人 → 一万人。 どうもお恥ずかしい)、 202頁7行目
(二・七 → 二・一〇六。 これはヨセフスの古い引用の仕方で二・七としたのを、
新しい引用の仕方にあわせて二・一〇六にした。 しかしいずれにせよ二・七は間違いで、
二・八である)、 等々。
現代の出来事に言及している場合、 24年もたつと、 その出来事そのものがすでに昔のことになって、
多くの読者に通じない、 ということになる。 従ってそういう例のいくつかは削ったが、
多少は入れ換えたものもある。 一つだけはっきり書き変えたのは、62頁7行目の「彼らはげらげら笑って相手にもしてくれなかった」
という文。 「彼らは足を踏みならして、 大きな声で言った、 ノン」 と書き変えた。
この情景は昨日のことのようによく覚えている。 その教室に居た一人一人の学生の顔も。
げらげら笑って、 いかにも馬鹿にしたように、 相手にもしてくれなかった学生も一定数居たが、
大部分の学生は大声ではっきりと意思表示した。 こういう時に足を踏みならすのも、
彼らのよくやることである。 本書第1版を書いていた時は、 多分、 あまりにも当然すぎる話であって、
そんなことは議論する気にもなれない、 という私自身の気持を表現したかったのだと思う。
第1版で 「新約書」 「旧約書」 とあったのは 「新約聖書」 「旧約聖書」
に直した。 確かに新約聖書が 「聖書」 と呼ばれるようになったのは、 その諸文書が書かれてから数百年も後の話だから、
新約の諸文書そのものを指すのに、 「聖書」 と呼ぶのはしっくりしない。 それで、
その頃は吉本隆明の言い方がはやってもいたし、 その真似をして 「新約書」
と書いた。 しかし、 「聖書」 と呼ばないのであれば、 「新約」 と呼ぶのも奇妙である。
この呼称もまた、 「聖書」 よりはやや古いが (2世紀後半ぐらいから)、 1世紀のキリスト教徒はまだこれらの文書にこういう名前をつけてはいなかった。
従って 「聖書」 をやめるなら、 「新約」 もやめないといけない。 しかしむしろ、
ものの名前というのは、 現在我々がこれを 「聖なる書物」 と考えるかどうかという問題ではないので、
伝統的に 「新約聖書」 と呼びならわされてきた書物というだけのことであるから、
やはり素直に 「新約聖書」 と呼んでおけばいいだろう。
まるごとだいぶ違う趣旨に書き変えたのは、 ルカ16,9についての叙述 (240頁終りから8行目―242頁4行目)。
かなり無理をしてひねくった論述だったのを、すっきりと書き直した。 やはり、
無理をしてほかの人の学説に追従しようとすると、 どうしても辻つまがあわないことにある。
反省。
増補版と称しても、 大量に増補したわけではない。 大きく書き加えたのは第5章の
「タラントの譬」 について (236頁8行目以下に9頁ほど増補。 これは、
第1版での自分の見解を大幅に修正し、 その理由を展開した)、 及び第6章の
「マルタとマリア」 の話について何ほどか (303頁終りから6行目以下の書き変え。
ほんの3行ほどの文を、 丁寧に4頁ほど展開して書いた)。 またそれと関連して、
ある女がイエスの足に香油を注いだ話もだいぶ書き直した (300頁終りから5行目より304頁終りから7行目。
伝承史的な分析等々をていねいに展開し、 内容的にも多少修正した結果、 2頁ほど増えた)。
ほか、 2、3行程度書き加えたところは、ところどころある。 ……
(2) その他数字の修正
細かい誤記誤植の類の修正はいちいち記しません。 しかし数字の間違いはお読みになってもお気づきにならないことが多いでしょうから、
下に記しておきます。
159頁3行目 一四・二五 → 一四・四五
162頁左から4行目 ルカ一一・五二 → ルカ一一・四六
210頁9行目 マタイ七・二〇 → マタイ七・二一
247頁9行目 マルコ一三・四一 −四四→ マルコ一二・四一−四四
277頁左から5行目 ルカ七・二九 → ルカ七・二九−三〇
以上にあわせて索引も訂正
索引9頁右欄12行目 「41−44節 246−247」 を12章の欄の最後に移動
索引9頁右欄14行目 25節 → 45節
索引9頁右欄下から8行目 20節 → 21節
索引10頁左欄下から2行目 29節 → 29−30節
索引11頁左欄3行目 52節 → 46節
第2版で修正した点のメモを取り忘れたものもあるので、 ほかにもあると思いますが、
お許しを。
以上です。
(3) 第7刷 (2010年10月) での誤記の訂正
第2版331頁左から5行目 (第1版298頁右から3行目) グッティン →
ギッティン
ミシュナの文書の書名です。 どうもみっともない間違いで、おまけに、初版発行以後30年も気がつかずにいた、というのはますますお恥ずかしいことであります。特に、第2版の原稿は自分で一字一句全部パソコンに打ち込んでいったのだから、その時に気づかなかったのは、お恥ずかしい限りです。まことにすみません。