田 川 建 三 か ら の
(第27回) 2021年3月8日
TAGAWA Kenzo
目次
I. 今回の更新、及び前回までの更新
II.出版状況 III.執筆 の予定 IV. 私塾(公開講座) V. 今日の一言 VI. 通信欄
II から VI は、クリックしていただくと、この頁の後方のそれぞれの個所にとぶことができます。
今回の更新 (21年3月8日)
ご無沙汰していて、恐縮です。その後9ヶ月もたってしまいました。
さすがに、年齢 (85歳!) からくる体力不足、いざその年齢になってみると、ずしりと実感しております。
すぐに疲れて眠くなるから、一日の仕事量もかなり減ってしまう……。
しかしまあ、ぶつぶつ言っていても仕方がないので、久しぶりにこのサイトを更新するのをきっかけに、
もう少し日々の仕事量を増やせるように努力することにいたします。
今回は、新しい講座の発足 のお知らせです。
昨年10月に、21年続けてきた京都での講座もようやく終ったので 、
(兵庫での新約聖書の講座と、大阪での教会建築 ・美術の講座は、無事続けております。 語学の講座も ) 。
IV. 私塾 をクリックして御覧下さい。)
その空いた時間は、しばらくは休養に用いたい、と思っていたのですが、
たまたま、軽井沢在住の読者の方から、東京で講座があったら参加したい、と尋ねてこられたので、
そのくらいなら (どうせ東京では定期講座はやっておりませんが)、どうせ隣町、私が軽井沢まで出向く方が簡単だと思い、
その方に相談してみたところ、それなら実施しようということになり、その方のお二人の知人にも声をかけて下さり、
その三人と私が発起人になって、この5月からはじめることになりました。
それで、せっかくだから、軽井沢なら意外と交通の便もいいし、このホームページを通じて、広く呼びかけることにいたしました。
詳しくは、別頁の案内をご覧下さい。右をクリックなされば、ご覧になれます。 ⇒ 軽井沢での新規講座
どうも、せっかく京都の講座が終ったのに、身についた行動が本性となって、
講座用の時間が空いたら、その分はまたどこかで講座を開きたい、と思ってしまったのだろうと思います。
しかし、この種の講座を十分な水準で実施することは、従来は大都市圏でないとなかなか実現しなかったので、
自分の地元に近いところとはいえ、人口の少ない、その点では小さな町でも、一つ実現できることは、大きな幸せです。
学問の専門家というのは、そのために自分の時間を最大限使うことが許されている存在ですから、
そのようにして知り得た知識を、そのことに関心のある方々になるべく広く伝える作業は、自分が生きている限り、義務だと思っています。
最近の増刷のお知らせ
『新約聖書・本文の訳』 その後、保存版は2度 (第2刷~第3刷)、携帯版は一度 (第2刷)、増刷が発行されました。
細かくは、不注意の誤記誤植がまだかなり残っていましたので、全部で十数ヶ所修正しました。
すみません、今回は上述の 「新しい講座」 の紹介だけで、体力的 ・時間的に精一杯ですので、
いずれ近いうちに (数ヶ月以内?)、主な修正個所をここで公表します。
『新約聖書・訳と註』 こちらは、第7巻 「黙示録」(第2刷)と、第5巻 「ヨハネ福音書」(第4刷) が3月20日すぎに発行されます。
黙示録の巻の増刷がようやく出ますので、これで全巻そろって増刷が出たことになります。
内容から言うと、黙示録の巻が一番水準が高く、かつ読んで面白いのに、これが一番売れていないのは、非常に口惜しい!
やっぱり、出版順が遅いと損をする、ということか。
他の巻はさておいても、これだけは是非お読み下さいますように。
前回の更新、その1 (20年6月14日)
Covid-19 (いわゆる新型コロナ) について。 その新規感染者数の統計のうさんくささ、 第1回
まだ第1波の段階でしたが、日々公表される新規感染者数の中身について、
どうも、あのような杜撰な統計でよろしいのだろうか? 我々はせめて、公表される統計のうさんくささを知っておくべきではなかろうか、
と痛感しておりましたので、気がついた問題点をとりあえずまとめて、「第1回」 として公表いたしました。
私はもう、この種の社会問題に口をだすのはやめようかな、と思いはじめていたのですが、
(生きているうちに、自分の生涯の最大・最重要の著作たる 『新約概論』 を仕上げないといけないので)、
しかし、新型コロナの問題はこれだけ大きな社会問題ですし、
しかもそれについて意外と重要な問題がしばしば見落とされ、人々が気がつかずにいることもいろいろあるので、
やっぱり、この社会に生きている一員の責任として、他の人が気がついていない問題について、書いておこう、と思いました。
いろいろ沢山ありますが、今回はとりあえず、公表されている 「新規感染者数」 があちこちあまりに、うさんくさいので、
その数字のうさんくささについて、いろいろデータを上げて、もの申しておくことにしました。
このサイトの 「今日の一言」 の臨時版とでもお思い下さい。
本当は、もっと早く (遅くも3月末までに) 公表したかったのですが、
3、4月は H・シュッツ関係の仕事に忙殺されていて、この原稿は、仕方がないから、4月末から書きはじめたのですが、
その時期にどっと疲れが出て、毎日僅かしか仕事ができなくなってしまったので、
今更、いわゆる第一波はほぼ終息しつつある時期になってこれを書いても、すっかり証文の出し遅れですけれども、
どうせ、秋が深まるにつれて第二波が来る可能性が高いし (実際に来てしまいましたね!)、
従って、ここに書く知識は、新型コロナに関して、今でも重要だと思われますので、
時期遅れですが、ここに公表することにしました。
なお、上記のような事情で、まだまだかなり疲れが残っていて、またこの作業のためには十分な時間がとれなかったので、
文章の読み直し、修正を十分な回数だけやることができませんでした。
そういう状況で書いたので、文章がしっかり凝縮せず、ずい分と長い文章になってしまいましたが、
お暇のおありの方は、なるべく全文をお読みいただければ幸いです。
お時間のない方は、後半の 「3.発表されている感染者数は果して正確か?」 の章だけでも、お読み下さいますように。
ご覧いただける方は、次の文字をクリックしていただければ、その文書に跳ぶことができます。
→ 新型コロナ、その感染者数の怪
前回の更新、その2(20年6月14日、3月20日)
1.イエスという男 増補改訂版 第12刷発行 2020年6月
2. ハインリッヒ・シュッツの「マタイ受難曲」、対訳と解説
大阪コレギウム・ムジクム合唱団の (昨年) 4月に予定していた演奏会が新型コロナのせいで遅れていたのですが、
ようやく 9月13日になって実施されました。
これに協力して、私もこの曲の歌詞の対訳と解説を書いて、演奏会にお出で下さった方々に配ることにしたのですが、
それはすでに4月に仕上がっておりました。
この対訳と解説は、自分としては、これまで私がやったこの種の曲の対訳と解説の中でも、一番よく書けていると思います。
特に、この機会に、バッハの受難曲とシュッツの受難曲の特色の大きな相違、シュッツの長所がどこにあるかを、
かなりな程度にきちんと説明できたのは、自分の仕事として、まずまず良い仕事ができたと思っています。
そういう次第で、その時にこの欄に書いたことを消してしまうのももったいないので、保存しておくことにしました。
次をクリックして、ご覧下さいますように。 ⇒ H・シュッツ、マタイ受難曲、対訳と解説
(以下は、まだ演奏会が実施される予定になっていた時点で書いた記事です。)
何故私が自分の著作の仕事を中断して、この演奏会に全面的に協力することにしたか、という言い訳を書いておきました。
そして、シュッツのこの曲の演奏会が非常に意味のある重要なものであることの宣伝文も書いておきました)
本職の仕事 (『新約概論』 の執筆) をまたまた中断して、別の仕事に手を出してしまいました。 どうもすみません。
相変らず、音楽関係の仕事です。
またまたコレギウム・ムジクムに (ないし指揮者の当間修一さんに) 頼まれてしまったものですから。
ハインリッヒ・シュッツの 「マタイ受難曲」 の対訳 (A4判 21頁)と、それにつける解説と註 (B5判 22頁)。
普通なら、現在の私は本職の仕事だけに必死になって集中していないといけない状態なのに (人生の残り時間)、
それを敢えて中断して(2月はじめ~3月第2週)、また音楽関係の仕事に手を出したのは、
やっぱり、当間さんに頼まれると、断れなかったからです。
彼は、合唱団の形成、その演奏会を中心として非常にすぐれた仕事をし続けていらっしゃいました。
日本で、ヨーロッパの教会音楽を中心にして、あれだけ高い水準にまで合唱団を育て上げ、
誰しもが、聴きに行って満足して帰ってこれるほどの、ないしそれ以上の水準に高めたのは、たいしたことです。
しかし、歌詞をどう訳すか、そしてその歌詞をどう説明するか、となると、
やはり聖書学のプロの仕事になります。 それも、こちらはこちらで、十分な水準を必要とします。
特に今回のH・シュッツの受難曲のような場合には、新約のギリシャ語本文を十分に正確に把握していないといけないし、
その正文批判に精通していないといけないし、
そして、シュッツの歌詞は 100%ルター訳の引用ですから、ルター(の時代) のドイツ語も読み慣れていないといけない。
加えて、今回は特に、歌詞を一語一句正確に理解しながら聴くのでないと、ほとんど意味をなしません。
つまり、ドイツ語を十分に理解なさらない聴衆の方々には、短い一句一句が左右の欄で (ドイツ語原文と日本語訳)
1行ずつきれいに対応する対訳を提供しないと、せっかく演奏を聴きに来ても、その価値は、ないし魅力も、半減します。
半減という以上に、そもそも何が何だかわからない。
しかし、シュッツのマタイ受難曲という、これこそがまさに受難曲というものだ、と言うべき貴重な作品を
日本で水準以上の高い演奏で聴く機会は、めったにあるものではありません。
これは、ですから、日本における受難曲の演奏として、そしてそもそもヨーロッパ教会音楽の演奏として、
極めて貴重かつ重要な機会であります。
そしてこの場合には、正確な対訳と、歌詞についての解説が非常に重要になる。
当間指揮者は、H・シュッツについては、若い頃から長年にわたって、特に力を入れて研究と演奏を続けてこられた方です。
だから彼が今回の演奏に際して、私に対訳を頼んでこられた気持は十分に理解できます。
彼としても、広く公開してこの受難曲を演奏するのは、30年ぶりのことですし。
ですから、私としても、この記念すべき演奏会に積極的に加担することにいたしました。
その分、『新約概論』 の完成は遅れますが (まことに恐縮)、その点で失われたこの1ヶ月半については、
以後十分に健康に気をつけて、この1ヶ月半の分を更に長生きして、
何とか 『新約概論』 が書き終るまでは、しっかりした体力を維持するように頑張りますので、
どうかお許し下さいますように。
人間、時には、あれかこれかをせまられた時に、その一方を捨てて他方を取るのではなく、
あれもこれも両方頑張ってしまうという決断をせまられる場合もあります。
私も新約学のプロである以上、当間さんがその点を重んじてこの仕事を私に託された以上、
否と言うわけにはいきませんでしょう。
しかしもちろん、自分の人生の残り時間はもう切迫しておりますから、
今後は、ちゃんと仕上がるまでは、『新約概論』 一筋に集中いたしますから、御安心かつお許し下さいますように。
前々回の更新より(19年7月20日)
ヘンデル・メサイアの解説と註について、すでに終った仕事ですので、この頁からは削除しました。
案内をご覧になりたい方は、下記をクリックして下さい。
→ ヘンデル・メサイアの歌詞対訳の解説と註
前々回の更新(18年8月13日)
『新約聖書・本文の訳』 が発行されました。7月25日に発行、発売されております。
詳しくは、右の別頁をご覧下さい。 → 新約聖書・本文の訳
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
前々々回(18年1月1日)までの更新のうち主なもの (18年8月の現状にあわせて少し書き変えました)
毎日出版文化賞の授賞式の挨拶
この授賞式でしゃべった短い挨拶が、一部の人々の間で少しばかり話題になっているみたいですから、
正確を期するため、私がしゃべった文章をそのままここに公表します。ご確認下さい。
けっこう面白いかも。→ 出版文化賞の挨拶
『新潮』2018年2月号掲載の短いエッセー
上記の挨拶は短かすぎて、言いたいことが十分に言えなかったので、雑誌 『新潮』 にエッセー執筆を依頼されたのを幸いに、
その中の最も本音の部分をやや詳しく 2頁ほどのエッセーにまとめました。
「パン屋さんと学者の仕事」 と題した文です。1月6日発売。
『新約聖書・訳と註』第7巻黙示録についての情報はすべて別頁に移しました。
次をクリック → 第7巻ヨハネ黙示録 黙示録について、かなり詳しく書いてあります。。
なお、時間のない方々のために、御自分に興味のある頁を容易に見つけられるように、第7巻のための 読書案内 の頁を作りました。
その頁を読むには、次をクリックして下さい。→ 時間のない方々に、読書案内
同第6巻(公同書簡、ヘブライ書)についても、第7巻と同様に、やや詳しい紹介を記してあります。 → 第6巻の特色
それ以外の巻については、下の 「出版状況」 にある 『新約聖書、訳と註』 全体の紹介の頁をご覧ください。
『訳と註』を補足する二つの仕事 の予定
うち一つの 『本文の訳』 は、上記のように、すでに発行されました。
第2の仕事は、全7巻8冊に対する索引の巻を発行です。
多くの読者の方々が、「あれ、あの件、どこに書いてあったっけ」 とお思いになられることが時々おありでしょう。
しかし、全6000頁の中からその個所を探し出すのは、至難の業です。
従って、索引の巻は必需品と思われるので、作品社と協議して、これを作ることにしました。乞う、御期待。
『新約聖書・訳と註』 補遺・索引 という巻になります。
しかしこれは大変な作業ですから、1、2年以内に、というわけにはいかないと思います。
『訳と註』の誤記誤植訂正表について
すでに多くの巻が増刷を重ねていて、それぞれ増刷のつど、かなりな程度の修正を行なっています。
もっとも、そのほとんどは、ご覧になれば誰でもおわかりになる程度の単純な不注意です。
しかし、たまに、けっこう重要な修正も出て来ますので、誤記誤植訂正表が必要になります。
それにもかかわらず、長いこと、このサイトにそれを掲載する作業を怠っていて、どうもすみません。
ようやく全巻完了し、多少時間の余裕を得ましたので、これから少しずつここに公表してまいります。
現在のところ、このサイトにのっているのは第1巻第2、第3刷での修正についてのみです。左の文字をクリックして下さい。
他の部分については、これから鋭意努力して、ここに掲載するようにいたします。
うち、重要な修正 (第1巻第3刷と第2巻上第2刷における) とお詫び
以上のうち、とりあえず、重要な間違いを3個所お知らせしておきます。
うち二つはだいぶ前からこの欄で指摘してあったものですが、三つ目は17年末にやっと気がついたものです。
どうしてこんな単純な間違いに今まで気がつかなかったのか、まことに申し訳ありません。
かなり多くの場合、眠いのを無理して頑張っているので、この種の不注意が生じます。
しかし、くり返し読み直し、校正もしっかりやっているのだから、普通なら、自分で気がつくはずなのですが……
第1巻124頁左から4行目 マタイ福音書本文の訳の最後の文
私があなた達に教えた → 私があなた達に命じた
第2巻上ルカ福音書 209頁左から12行目 (《幸いの呼びかけ》 の並行記事の指摘
マタイ6・1-12 → マタイ5・1-12
第1巻121頁8行目、マタイ27章28節の訳文
そして緋色の外套を着せて、彼を被った → そして彼の(衣を)ぬがせ、(代りに)緋色の外套を着せた。
* * * *
以下、各項目ごとに、詳しいリンク頁がついています (「出版状況」 以下で、 項目名に下線のあるもの)。
御覧になるには、それぞれの下線の色文字をクリックして下さい。
II.出版状況 (定価は消費税ぬき価格) 番号は発行年月日順
なお、携帯版をお買いになって、文字が小さくて読みにくい、という文句をインターネット等に投稿しておいでの方が時々おいでになりますが、
そういう方のために、こっちがわざわざ文字の大きい版も同時につくって発売しているのだから、
小さい文字が気に入らないのなら、文字の大きい版をお買いになればいいじゃないですか。
それにもかかわらず、敢えてわざわざ縮小版 をお買いになって、田川訳は文字が小さいから気に入らない、などと悪口をいいふらすのは、
失礼というものです。
たいていの本屋さんで両方を置いてありますから、買う時に、御自分の眼でお確かめになった上でお買いになればよろしい!
通信販売の場合は直接比較することはできませんが、保存版は普通のA5判の書物の文字とほぼ同じ、
携帯版は、普通の文庫本よりも文字が更に少し小さい。
携帯版の方が第2刷が出るのが遅かったのは、実は、携帯版の方は定価をなるべく安くするために、第1刷の発行部数を多くしたせいです。
内容について、詳しくは ⇒ 新約聖書・本文の訳
5.思想の危険について、吉本隆明のたどった軌跡、1987年8月初版発行、インパクト出版会
新装版、2004年10月30日。 内容はまったく同じです。 表紙が変っただけ。
10.批判的主体の形成、 増補改訂第2版(新書版)
1971年に三一書房から発行した評論集の全文書き直し。
洋泉社 (新書MC)、2009年11月7日発行 ただし現在絶版
いずれ、もう一度書き直して、別の出版社から再発行するつもりです。
翻訳(現在入手可能なもののみ)
11.ウィリアム・ティンダル、ある聖書翻訳者の生涯(翻訳)、勁草書房、2001年1月初版発行
現在第2刷 (2001年6月)、8400円 (税別)
この本の重要性 (というか、ウィリアム・ティンダルという人物の重要性)は、最近ますます大きくなってきています。
皆さんぜひお読み下さいますように。
12. ハンス・コンツェルマン著 『時の中心、ルカ神学の研究』
新教出版社、1965年11月(現在多分1987年の第7刷が最新)。しかし通常版は入手不可能。
現在、オンデマンド出版で入手可。定価は忘れました。かなり高い。
Hans Conzelmann, Die Mitte der Zeit, Studien zur Theologie des Lukas,
4. Aufl. 1962, Tuebingen
III.執筆予定
無事何とか 『訳と註』 と 『本文の訳』が完結しいたしましたが、これで終りというわけにはいかないので、一応、もしも自分の人生に余力が残っていれば、以下の著作を順に手がけていきたいと思っておりますが、果してどうでしょうか。
1.『訳と註』全巻索引 全7巻8冊にわたって、詳細な索引を作成しないといけません。これ、大変だよ!
しかし、この手の本は索引が必須ですから、何とか実現しないといけません。あと10年寿命がほしい。
2. 新約聖書概論(仮題) これだけは、何が何でも生きているうちに仕上げないといかないので、現在奮闘中。
3. リーメンシュナイダー あの、今では最も愛されている 16世紀の教会彫刻家の作品と伝記を、何としても読者の皆さんに伝えたい。
自治自由の都市の形成をになった、中世都市自由民の代表格の人物。
その人間愛が、作品の一つ一つににじみ出ている。 その作品に会うと、昔からの親しい知人に会ったような喜びが湧いてくる。
4. マルコ福音書註解・中、下巻 この本の続きを新教出版社から出版することは、もう、ありえません。
あの当時と今とでは、私自身の水準が違いすぎている!
むしろ、これから出版する 『新約概論』 第1巻 (マルコ、マタイ、ルカ) の第1分冊 (マルコ) を御期待下さい。
IV. 私塾
私塾と称して、自分で主催して、定期講座を開催しています。 場所は阪神地域。
現在は、「マルコ・マタイ」(マルコとマタイの相違をめぐって、それぞれの特質を明らかにする)
「バロックの教会」(これ、多分あと数ヶ月で終ります。そうしたら、多分、ゴチックの教会建築の続きにもどります)
「語学」 フランス語初級 (すでにほぼ中級)、ラテン語初級
加えて、上述のように、この5月から、新しい講座を軽井沢ではじめます。
詳しくは2行上の緑字の 「私塾」 をクリックしてください)。
V. 今日の一言
この項目、今のところ、完全に休眠状態です。早く、こういうものを書ける時が来るといいな、と思います(2019年6月)
既発表分
第1回の分から全部保存してあります。 上の「既発表分」の文字をクリックして下さい。
第11回は「下手の文章書き」と、「人間にレッテルを貼るな」。第10回「後期高齢者何とか。あるニュースの扱い」、第9回 「福知山線の事故」、
第8回 「誰があいつを支えているのか」、 第7回「いろいろ」、 第6回 「子どもは誰のものか」、 第5回 「イラクをめぐる嘘論理」、 第4回
「火事場泥棒」、 第3回 「あなた方は何を悲しむのか」 (多少追記を書き込みました)、 第2回 「是非善悪……」 、 第1回「今の日本はこわい」
VI. 通信欄
とりあえず次の方法で、私のところにメールをお送りいただくことができます。
まず http://www.tagawa-kenzo.server-shared.com/FormMail/formmail/FormMail.html にアクセスしてください(左をクリック)。
これは私個人あての通信欄です。私以外の誰の目にもふれませんから、ご安心下さい。
通信欄の中の 「郵便番号、住所、電話番号、ホームページ」 はお書きになる必要はありません。無視して下さってかまいません。
お名前と、ご自身のメールアドレスは必ず書き込んで下さい。
それで、 「ご意見、ご質問」 欄に、あなたの通信文をお書き下さり、「確認」 をクリックし、その次に出て来る画面で 「送信」 をクリックすれば、送信完了です。