思 想 の 危 険 に つ い て
吉本隆明のたどった軌跡
1987年8月、初版発行、インパクト出版会発行
2004年10月末、 新装版発行
どうも、 前回までのこの頁では、 「吉本隆明という人物のくだらなさに応じて、この本はもう絶版になってもいいでしょう。
彼のくだらなさは、もう多数の人々によく認識されているでしょうから」、 と書いておいたのですが、
出版社の方から (深田卓さん)、 この本はまだ生きているので、 新装版にしてもう一度発行したい、
とおっしゃってこられましたので、 そのお気持を無にするにしのびず、 再発行に応じることにしました。
最初のうちは、 単なる増刷にするのかな、 と思っていたのですが、 結局、
新装版ということになりました。 新装版というのは、 近頃の出版社がよく用いる手法で、
中身はまったく同じ (つまり普通の増刷と同じこと)、 単に表紙のみ新しくする、
というものです。 単なる増刷だと、 本屋さんがなかなか店頭に並べてくれないのですが、
新装版だと、 一定期間は並べておいてくれるからです。
今回は、 読み直している時間的余裕がなかったので、 文字どおり一言一句、
一字たりとも修正していません。 丁寧に読めば多少の誤記誤植も見つかるかな、
と思うのですが、 申し訳ありません。
新装版が手もとに届いてから、 多少ぱらぱらとめくって読んでみたのですが、
自分で思っていたよりも、 けっこう面白そうな本になっているかな、 と思いました。
もうずい分前に書いたものですので、 自分でも中身の大部分を忘れていたせいもありますが、
読んでみて、 意外と面白いです。 たとえば、 K・マルクスの 『資本論』 にふれている部分とか
(細かいところをずい分と丁寧に調べて論じているな、 という感じ。 内容的にもけっこう面白いです)。
あるいは、 古代の女神信仰について論じた部分とか。 古代初期の女神崇拝は、
女権国家 (女が政治支配権を持っていた) が存在した証拠だ、 という幻想 (まったく歴史の事実に対応していない)、
あるいは逆に、 現実に女の政治権力者がいるのに、 女である以上、 本当は別に男の権力者がいたのだろう、
というまるで滅茶苦茶な想像 (卑弥呼について)、 とか。
いろいろ、 結構面白く書かれています。
話の主題は吉本隆明です。 この本を書いた時点では、吉本隆明というのは、どうもおかしいと思うけれども、何となくすっきりしない、と思っておいでの多数の読者に、すっきりしていただく機会を提供するために、あの人物の書き流すことがどれほど無茶苦茶かを、ていねいに論証しておく必要があった、ということです。
しかし、 この本の中では、 かつて1950年代の吉本の発言が持っていた意味は、今でも評価してよいと思うので、
その評価もしなければならない、 ということをかなり強調して書いていますが、
今になってみると、 あの人やっぱり最初からうさんくさかったのだよ、 という思いの方がずっと強くなりました。
何であんな奴が高く評価されちゃったんですかね。
多分すぐれていたのは、 吉本自身よりも、 彼の断片的な言葉の中にいろいろすぐれた意味を仮託していった多数の読者たちの方だったのでしょう。
しかし、 あの評論家気取りの愚物が、 まるで自分はいっぱしの思想家であるかのように思い上がって、 その結果として、 どんどんと愚劣になっていった軌跡は、 一つの警告として、 たどっておく意味はあるでしょう。