新約聖書概論(仮題)  
  『訳と註』完成後に仕上げます

 『書物としての新約聖書』の続編。というよりも、『書物としての……』は新約聖書概論のうちの序論の部分。次に書くのが本論。
 まあ、 要するに、 新約聖書の諸文書とはこういうものです、 ということ。
 しかし、 書いていて思うのですが、 新約聖書が事実としてどういうものであるのか、これまでのところ、 日本語の読者にはほとんどまともに伝えられていない、 というのが実情でしょう。 これだけは何とかしないといけない。 大変な仕事ですが。

出版予定
  だんだんと発行予定が遅れていきますが、下記の理由で、お許し下さい。
  大きさは、『書物としての……』 よりも、だいぶ大きくなります。ことらが本論ですから。
  今のところ、2巻本で発行する予定

内容
  新約聖書の各文書の実際。
   誰が、いつ、どういう目的で書いたか。どういう特色があるか。
   つまり、各文書の外面的な説明です。
   ふつう狭義の「概論」として扱われる内容のものです。

 『書物としての……』が、いわば、これらの各文書の実際を無視して、後にどのようにして「新約聖書」という「書物」になったか、ということを扱ったとすれば、今度は、ではこれらの文書は本当はどういうものであったか、ということです。
 従って、『事実としての新約聖書』とでも表題をつけようかと思っております。
 ともかく、新約聖書の一つ一つの文書の実際について、日本語の読者には、正確な知識があまり伝わっていませんから、この著作は急ぐ必要があると思っています。

 出版予定の遅れた理由は、 仕事をさぼっているからではありません。 着々と進んでいます。
  では何故遅れるかというと、 新約聖書の本文そのものの翻訳、 訳註を先に出版する必要にせまられたからです。 つまり、 概論を書くには、 本文の非常に多数の個所を、 「どこそこ参照」 といった具合に言及しないといけません。 ところが、 そのどこそこの個所が既存の翻訳では正確に翻訳されていないとしたら、 読者には話が通じませんでしょう。 かといって、そのつど 『概論』 で参照個所の翻訳と、 既存の諸翻訳では正確ではないという理由とを、 丁寧に書いていたら、 『概論』 が大変な分量になってしまいます。
  それで決心して、 本文そのものの訳と註の発行を急ぐことにした次第です (そちらの項目を参照されたし)。

  もちろん、 『概論』 の作業そのものも、 順調に進めています。
 すでに 「私塾」 (西宮) の講座で11年かかって、新約概論を最後まで話し終りました (京都の講座ではまだ継続中)。単に話しただけでなく、その内容を、 いずれ出版するよりもずっと詳しく文章化して、 参加者に配りました。 従って、 その印刷物を市販の書物に整えるために要約、推敲すれば、 本の原稿が出来上がり、 という次第です。

  というわけで、 『訳と註』 をある程度発行したら、新約概論の執筆にも並行してかかろうか、と思っていたのですが、さすがに 『訳と註』 の仕事は重く、日々疲れはてて、とても他のことには手を出せません。
  『訳と註』 を生きている間に仕上げることは、私にとってはいわば至上命令ですから、やはりまずそれに集中して(あと3年)、その後に、比較的短期間に集中的に 「概論」 を書き上げよう、と思うようになりました。
  これで精一杯ですので、どうか御寛恕下さいますように。

  『訳と註』 が書き上がったら、その後、どんどんと張り切って、こちらの仕事に移ります。

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