リーメンシュナイダー

自 治 自 由 の 都 市 の 形 成

                    『訳と註』 完成後に執筆予定


 『訳と註』 という大変な仕事をやっているのに、他の著作も次々と計画するなぞ、大それたことには違いないのですが、この本は、『新約概論』 と並んで、どうしても書き上げたい、と思っています。

 以前は、『訳と註』 をもう少し少なめの分量で書くつもりでしたので (最小限の翻訳上の問題についてのみ註をつける)、やはり、書いていると、いろいろな問題に丁寧に配慮して書く方がいいだろう、と思いだし、結局、御存じのような大著になってしまいました。
 その結果、『訳と註』 と並行して書こうと思っていた他の本については、すべて、『訳と註』 を仕上げた後に考えよう、ということになってしまいました。どうもすみません。

 しかし、この本も、私としては、生きている間にどうしても書き上げたいのです。
 確かに、その理由の一つは、リーメンシュナイダーという世界史上稀に見る最高の彫刻家、その作品についても、人物についても、日本語の世界ではろくな知識も伝わっていない、ということがありますが、そしてそれだけでも、私が何としてもこの本を書きたい、と思う大きな理由になりますけれども、それだけではありません。

 この本を書くことを通じて、一つの大きな歴史的存在を描き上げる、その作業を通じて、歴史を描くという行為の何たるかを、お伝えすることができる、と思うからです。

 と同時に、もちろん、リーメンシュナイダーという類稀れなる彫刻家のさまざまな作品の真骨頂を、日本語の読者の方々にお伝えしたい、という思いがあります。

 以下は、このサイトを作ったはじめの頃に、リーメンシュナイダーという人物の紹介と私の本の予定を書いた文章です。微細な字句は訂正しましたが、ほぼそのまま掲載しつづけることにします。

     ☆       ☆       ☆       ☆       ☆

 16世紀南ドイツ、フランケン地方 (ヴュルツブルクの町) の彫刻家です。
 この人について本を書きたいと思った第一の理由は、もちろん、類稀れなる彫刻家、その作品の一つ一つが非常な魅力にあふれているからです。

 もちろん、この人について日本ではろくな紹介がなされていない、というのも、もう一つの理由ですが (ろくすっぽ調べもしないで、本を書くなよ!) 、もちろんそれだけではありません。

 まあ、教会彫刻ですから、キリスト教について緻密で正確な知識を必要とします (その点でも、まるで幼稚な知識しかない人間がリーメンシュナイダーについて本を書いたりしなさんな)。 しかし、彼の彫刻の魅力は、決して単なるキリスト教信仰の表現などというものではありません。

 だいたい、16世紀の彫刻家が、聖書に書いてあるキリスト教信仰をそのまま抽象的に表現しようとした、などと思うだけでも、馬鹿げています。リーメンシュナイダーの彫刻を解説するのに、「これは聖書のかくかくしかじかの場面を表現したものです」 などと、ろくすっぽ聖書も知らない人が、知ったような顔をして、それだけを解説として本に書いても、ただひたすら頓珍漢というものです。

16世紀前半、特に1525年まで
 つまりこれは、宗教改革と農民戦争の時代です。これは、人類にとって最高に重要な時代の一つです。

宗教改革と農民戦争は同じ出来事 だ、ということが、まず理解されないといけません。
 それは何だったのか。

  聖書には、カトリック教会の社会・経済・政治支配を合法化することは何も書いてないぞ、
  聖書に基づけば、すべての人間が平等、自由であるはずだ、
  聖書に基づけば、此の世の自然はすべての人間の共有のものであって、権力者が勝手に私物化することは許されないはずだ、

といった認識が宗教改革と農民戦争という二つの名前で呼ばれている一つの社会変革の運動を生み出したのです。
 「農民戦争」と言いますが、それを担ったのは農民とともに、主として都市市民です。あるいは、農民も小都市に住み、都市の市民権を持っていた。

 都市市民が、権力者に対して、自治と自由を主張した。
 彼らが目指したのは、すべてのことが、すべての人々にとって「共通の利益」(der gemeine Nutzen) となるような社会でした。

 こういう運動が可能になったのは、都市市民が力をつけてきたからです。その代表的な担い手が職人(マイスター) であった。みずからの手で働いて食いぶちを稼ぐ者たちが共同して社会の自治、自由を担っていこう、という。そして万民の幸福のためにその自治、自由を役立たせよう、と。

リーメンシュナイダー (Tilman Riemenschneider
 彫刻のマイスターとしてヴュルツブルクの市民権をとります。市の自治を担うために、議員となり、ついに市長となった。
 元市長として、農民戦争に加担した。
 その故に逮捕されて、拷問にあい、以後は作品を残していない。

 彼の多数の祭壇彫刻に現れる群像の一人一人が、どうしてあのように魅力にあふれているのでしょうか。
 彼のまわりに生きていた仲間の市民たちが、自分の腕で働いて市民社会を支えた人々が、その故に自治自由を求める意欲の強い人たちが、つまりこの時代の都市市民たちが、一人一人魅力にあふれる人々であった。
 彼らの姿が、あの徹底したリアリズム彫刻を完成させたリーメンシュナイダーの作品の中で、息吹いている。だから、彼の彫刻の世界は魅力に富んでいるのです。

写真
 リーメンシュナイダーの彫刻の写真を多くのせます。ほとんどは、自分で撮影したものです。


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