『新約聖書・訳と註』 第1巻、作品社
   
誤記誤植訂正一覧

第3刷での修正

 5月に入ったら、修正表をここに掲載しますが、とりあえず重要な点だけ一つ。

124頁左から2行目 私があなた達に教えた → 私があなた達に命じた


第2刷での修正

 縦書きの書物について横書きで一覧表を作るのは見にくいので、数字などは、横書きにしてあります。
 適宜ご斟酌下さいますように。

37頁左から2行目  恥を知る → 敬意を表する
66頁左から6行目  私はあなたの → 私たちはあなたの
145頁5行目     pitis → pistis (sを一つ加える)
224頁11行目    三・七 → 三・八
334頁9行目     「いけない。」の後に、次の文を付加。
               付加文 (この項、エフェソス一・一四の註で修正してあります)
375頁9〜16行 長くなるので、下に記します
407頁2行目     前186年 → 前168年
511頁左から8行目 日本語しては → 日本語としては
614頁7行目    与えらん → 与えられん
729頁左から9行目 引き継ぎいだ → 引き継いだ
731頁2行目    23 とんでもない → 22 とんでもない
731頁柱(右の変更にともない) マタイ註 16章23-25 → マタイ註 16章22-25

 375頁9〜16行の 6節の 「恥を知る」 の註を、次のように書き変える。
 まず訳語を本文37頁の変更にともない、「恥を知る」 → 「敬意を表する」 に変える。 その上で、註を以下のように変える。

 entrepo という動詞の中動相。新約聖書ではこれは 「恥を知る」 という意味だ、と伝統的に言われてきた。しかしギリシャ語としての普通の意味は単に「耳を貸す、耳を傾ける」、従ってまた 「敬意を表する」 である。この動詞については第1コリントス6、5の註参照。しかしそちらの註がやや不備であったので、多少補っておくと、VGTがあげているパピルスの用例のうち、P. Par.47,4 は訳としては 「恥をかく」 と訳す方がよいように思える、「私が多少恥をかくことにならないように、あなたが私の顔を見ることは決してないでしょう」 (VGTは多少違う訳をつけている)。 しかし同じVGTが 「恥をかく」 の例としてあげている同49,30 は 「彼を呼んで、私のもとに遣わしなさい。彼は敬意を表することになるから」 と素直に訳して十分に意味が通じる。いずれにせよこれがギリシャ語として普通の意味だし、この個所もそう訳しておくのがよい。

   なお entrepo の語末の o は長音です。

 以上です。特に最後の375頁の修正は、私の不注意のせいで、まことに申し訳ありません。実は、石川県のある読者の方がすぐに気がついて下さって、本巻第1刷の訳語と註は、第1コリントス6、5の註と矛盾するではないか、と指摘して下さったものです。感謝します。
 第1コリントスを訳した時は、この語については、丁寧に調べて作業をしたのに、マルコ12章の時は、つい、自分でそのことを忘れ、従来の新約学者たちの無考えな伝統に自分も無考えに従ってしまったものです。まことに申し訳ありません。

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