ハインリッヒ・シュッツ マタイ受難曲                 
   歌詞の対訳と解説
について          


 ずっと以前に、J ・S ・バッハの 「ヨハネ受難曲」 と 「マタイ受難曲」 を大阪コレギウム・ムジクムが2年続けて演奏した時に、
  頼まれてその歌詞の対訳を作って、来場者に配布しましたが、
  その後も、ますますこの合唱団とのつながりは切れることなく、小さい曲は別としても、
 大きい曲では、F・ヘンデルの 「メサイア」 の対訳もやらせていただきました。
  (この時は、対訳だけでなく、歌詞の解説も同時に書いて配布しました)

 そして、昨年 (2020年)は H ・ シュッツのマタイ受難曲を演奏なさるというので、これまた歌詞の対訳と解説を引き受けました。
   この作業は、この演奏会が4月に実施される予定だったのにあわせて、3月末までに仕上げたのですが、
   演奏会そのものは新型コロナの影響で延期され、結局9月になってから実施されたのですけれども、
   私は3月末にすでに、このホームページに、
     ただでさえ忙しいのに、なぜ自分が自分の著作を中断して、この演奏会に全面的に協力することにしたのか、
     ということの言い訳を書いた上で、同時に、H・シュッツのこの受難曲をあまりご存じでない方も多いだろうから、
     この曲がどれだけすぐれた意義を持つ作品であるか、
     そしてこの曲をいまコレギウム・ムジクムが演奏することの意義についても、書いておきました。
   以下がその文です。

      ☆       ☆       ☆       ☆

  (2020年3月20日)

   またまた本職の仕事 (『新約概論』 の執筆) を中断して、別の仕事に手を出してしまいました。 どうもすみません。
   相変らず、音楽関係の仕事です。
     またまたコレギウム・ムジクムに (ないし指揮者の当間修一さんに) 頼まれてしまったものですから。
     ハインリッヒ・シュッツの 「マタイ受難曲」 の対訳 (A4判 21頁)と、それにつける解説と註 (B5判 22頁) です。

   普通なら、現在の私は本職の仕事だけに必死になって集中していないといけない状態なのに (人生の残り時間)、
     それを敢えて中断して(2月はじめ~3月第2週)、また音楽関係の仕事に手を出したのは、
     やっぱり、当間さんに頼まれると、断れなかったからです。
     彼は、合唱団の形成、その演奏会を中心として非常にすぐれた仕事をし続けていらっしゃいました。
     日本で、ヨーロッパの教会音楽を中心にして、あれだけ高い水準にまで合唱団を育て上げ、
     誰しもが、聴きに行って満足して帰ってこれるほどの、ないしそれ以上の水準に高めたのは、たいしたことです。

    しかし、歌詞をどう訳すか、そしてその歌詞をどう説明するか、となると、
     やはり聖書学のプロの仕事になります。 それも、こちらはこちらで、十分な水準を必要とします。
     特に今回のH・シュッツの受難曲のような場合には、新約のギリシャ語本文を十分に正確に把握していないといけないし、
     その正文批判に精通していないといけないし、
     そして、シュッツの歌詞は 100%ルター訳の引用ですから、ルター(の時代) のドイツ語も読み慣れていないといけない。
   加えて、今回は特に、歌詞を一語一句正確に理解しながら聴くのでないと、ほとんど意味をなしません。
     つまり、ドイツ語を十分に理解なさらない聴衆の方々には、短い一句一句が左右の欄で (ドイツ語原文と日本語訳)
     1行ずつきれいに対応する対訳を提供しないと、せっかく演奏を聴きに来ても、その価値は、ないし魅力も、半減します。
     半減という以上に、そもそも何が何だかわからない。

   しかし、シュッツのマタイ受難曲という、これこそがまさに受難曲というものだ、と言うべき貴重な作品を
     日本で水準以上の高い演奏で聴く機会は、めったにあるものではありません。
   これは、ですから、日本における受難曲の演奏として、そしてそもそもヨーロッパ教会音楽の演奏として、
    極めて貴重かつ重要な機会であります。
     そしてこの場合には、正確な対訳と、歌詞についての解説が非常に重要になる。

   当間指揮者は、H・シュッツについては、若い頃から長年にわたって、特に力を入れて研究と演奏を続けてこられた方です。
     だから彼が今回の演奏に際して、私に対訳を頼んでこられた気持は十分に理解できます。
    彼としても、広く公開してこの受難曲を演奏するのは、30年ぶりのことですし。
   ですから、私としても、この記念すべき演奏会に積極的に加担させていただくことにいたしました。

   その分、『新約概論』 の完成は遅れますが (まことに恐縮)、その点で失われたこの1ヶ月半については、
    以後十分に健康に気をつけて、この1ヶ月半の分を更に長生きして、
    何とか 『新約概論』 が書き終るまでは、しっかりした体力を維持するように頑張りますので、
     どうかお許し下さいますように。
   人間、時には、あれかこれかをせまられた時に、その一方を捨てて他方を取るのではなく、
    あれもこれも両方頑張ってしまうという決断をせまられる場合もあります。
    私も新約学のプロである以上、当間さんがその点を重んじてこの仕事を私に託された以上、
    否と言うわけにはいきませんでしょう。
  
   しかしもちろん、自分の人生の残り時間はもう切迫しておりますから、
    今後は、ちゃんと仕上がるまでは、『新約概論』 一筋に集中いたしますから、御安心かつお許し下さいますように。
                                                                           以 上
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