批 判 的 主 体 の 形 成

増補改訂第2版(新書版)、2009年11月7日発行
洋泉社、新書MC
全320頁、定価1700円+税

 (2009年10月20日に記)。

 ちょうど今から40年前のこの日に、国際基督教大学に警視庁機動隊が導入されました。
 それから2ヶ月、機動隊は大学に常駐し、反対運動をする学生たちに暴力を振るい続けました。
 私もこれに抗議し、その結果、翌年の春にその大学を馘になりました。
 その後、堺市の風呂屋の2階のアパートに2年間住み、いろいろな雑誌に文章を書きつづけました。
 そのうちのいくつかを収録したのがこの評論集です。

 私の最初の評論集。まだまだ非常に未熟でしたから、今読み直しても、どうもね、という水準ですが、私にとっては、上記の理由もあり、まことになつかしく、重要な代物です。
 しかしこのうち、最初の 「存在しない神に祈る」 は、今でもお読みいただく意味のある文章だと自分では思っておりますし、最後の 「授業拒否の前後」 は、文章は稚拙ですが、全共闘運動の一つの記録として、今の世にも残しておくべきものだと思います。是非お読みいただければ幸いです。

 初版は、三一書房から発行。1971年8月刊。
 第8刷(1988年)まで増刷され、全部で11500部売られたものです。
 しかしその後、三一書房のごたごたもあって、この本はずっと品切れ状態が続いておりました。 幸い、三一書房は再びしっかりした出版社として再出発なさいましたが (ようございました)、この本はその後もずっと品切れのままになっておりました。

 それがこの度、洋泉社の小川哲生さんの企画で、 「新書MC」 シリーズに再録されることとなったものです。
 すでに私の 『宗教とは何か』 上下2冊の改訂増補版もこの新書の中で発行されております。
 三一書房書房版は活版印刷でしたから、再発行するには、どのみち全文改めてパソコンに打ち直さないといけません。それで、この際思い切って、大幅に書き直すことにしました。

 と言っても、最初の四つの文章は、当時の自分の記録でもありますし、雰囲気を変えないためにも、原則として文章はそのまま残しました。意味の通じにくいところ、表現の下手くそなところなど、多少手を加えましたが。
 しかし、現在の視点から、ないし情報を正確にお伝えする必要のある場合、など、ある程度 「註」 を書き足しました。

 大幅に書き直したのは、最後の二つです。こちらは、多くの頁は、まったく新しく書いた、と言ってもいいくらいです。
 特に第5章の 「キリスト教と市民社会、平田清明批判」 は、内容的には、今更平田清明なんぞはどうでもよろしいのですが、それよりも、この章はいわば一種のカール・マルクス入門になっていますので、今の世においても、正確なところマルクスが何を言おうとしたのか、多くの読者にお伝えする必要があると思いますので、これは是非読者の方々にお読みいただきたいと思いました。
 それで、現在の眼から見て、何とか意味の通じる文章にしようと思い、結局大部分書き直してしまいました。
 もっとも、書き直したと言っても、まったく現在の視点から新しい文章を書いたというわけではなく、当時言いたかったことを、文章として何とか読みやすいものにしようと努力しただけです。
 その結果、原文の約6割にあたる分量を新しく書き足したことになります。かつ、原文を再録した部分も、文章上はほとんど書き直したと言ってよいぐらいの部分も多いです。
 ただし、他方では、当時の雰囲気を保つために、原文の言葉遣い、全体の構造、等々は、なるべく原文を保存するようにいたしました。

 第6章の 「授業拒否の前後」 は、逆に、原文はほとんどそのまま残しましたが (当時の記録ですから、変えない方がいいと思って)、しかし、今となっては全共闘運動のことを御存じない世代の方が非常に多くなってしまいましたから、その当時のことをお伝えするためにも、事実を多く記す必要があると思い、その目的で数多くの註をつけました。ある意味では、註の方が面白いかもしれません。
 そういうわけで、こちらの方も、原文の5割増になりました。

 この二つの文章がずい分と長くなってしまったので、三一書房版にのっていた二つの文章、「原点の思想、滝沢克己原典論批判」と、「何故マチウ書詩論なのか、吉本隆明の問題意識」 の二つは、今回は割愛しました。新書版一冊にすべてをおさめるのは不可能だったからです。
 それに、今更、滝沢原点論でもあるまい、という思いもありますし、吉本批判はすでに他の本で詳しく展開しておりますから。

 以下、簡単に内容紹介

 第1章 存在しない神に祈る
 シモーヌ・ヴェーユの一つの発言についてのエッセー。これは、この本の中でも、最もお読みいただきたいと思っていた章です。

 第2章 弱者の論理――遠藤周作のキリスト教の論理
 遠藤周作については、『宗教とは何か』上巻(宗教批判をめぐる) の中でも取り上げましたが、そちらは、彼の『イエスの生涯』 についてです。まさか、ああいう本が非常に多く売られてしまったので、やはり、新約聖書学者の一人として、きっちりと批判しておいた方がいいと思ったからです。小説家が小説を書いているぶんには、読者も小説だと思って読むからいいのですが、歴史の事実を歴史の事実として記述しようとする場合には、きっちりと資料の検討、同時代史の知識、等々を必要とするので、勝手な小説的憶測を歴史の事実であるかの如くに書きつらねられても困るからです。
 それに対して、こちらは、まだ遠藤が 『イエスの生涯』 を発行する前のことです。遠藤の小説全体にわたる 「弱者の論理」 という姿勢、「ダメな奴はダメなままでよろしいのだ」 という居直りの姿勢を、まとめて批判しておく必要があると思って書いたものです。
 今読み直してみて、この文章もほぼそのまま再発行する価値があると思いました。
 ただ、文章があちこちあまりに下手ですので、文意を明白にするために、細かいところはかなり書き直しました。
 かつ、いくつか、現在の私の視点から「註」を書き加えました。特に最後の註は、お読みいただく意味があると思います。

 第3章 イエスの辺境性――風土論によせて
 これはどうも、木に竹を接いだような文章で、前半は、和辻哲郎の風土論の批判、後半は表題どおり、「イエスの辺境性」 について論じたものです。
 はじめは 『理想』 という雑誌に掲載されたものですが、雑誌のその号の特集のテーマが「風土」でしたので、それにひっかけて、イエスの場合は (本当はイエスに限らず誰についでも)、和辻的な意味での 「自然的風土」 なんぞをイエスの 「思想」 を生み出した基盤として考えたってしょうがないので、必要なことはあくまでも、歴史的風土、つまりイエスの場合ならば、ガリラヤという、常に歴史の支配者によって圧迫されてきた土地の歴史を頭に置かねばならない、と主張したものです。
 しかし、「風土」についてものを言うのなら、まず和辻の 「風土論」 について批判しておかねばならないと思い、それが前半、イエスについてが後半で、それとこれとが木に竹を接いだように並んでしまいました。
 しかしここでは、むしろ、和辻の、いわば、まったくのおのぼりさんの思いつき的 「風土論」 がどう間違っているか、ということを、具体的に個々の事柄についての知識を洗いながら、 (和辻の最大の欠点は、ヨーロッパ及び古代オリエントの具体的な宗教史、また歴史一般について、あまりにも初歩的にものを知らなさすぎるのに、思いつきだけで、思想的にもったいをつけて 「風土論」 なんぞに仕立て上げてしまった、ということです)、とことんまで叩いておくのがよかったかな、と思っています。
 しかし今回は、新たに書き下ろすほどのことでもないし、ほぼ最初の文章をそのまま残しました。
 しかし、「イエスの辺境性」について書いた部分は、この約十年後に 『イエスという男』 を書き上げるための、基本の骨格というか、骨格の見取図程度のものは、提供できているのではないかと思います。

 第4章 人間の自由と解放――抵抗の言語
 これも雑誌 『構造』 が 「自由と解放」 という特集をやったのにあわせて書いたものですので、ある程度その特集の表題に引きずられて書いていますが、ここで扱ったパウロ思想の問題、つまりパウロ的な 「自由」「解放」(=救い) というのは典型的な「観念と現実の逆転」である、という指摘は、パウロ批判、ひいてはあらゆる宗教観念の批判の、根本的な点を指摘している、と今でも自分では思っています。最近の 『訳と註』 のパウロ書簡を扱った二巻(第3、4巻)の仕事は、基本的には、ここで指摘したことを頭に置いて仕上げたものです。

 なお、新書版の後書で、字数制限のため書き加えることができなかったので、ここで記しておきますが、この文章の冒頭で取り上げているアルザス問題は、1974年に私が学生としてアルザスで生活していた当時の経験を書いたものですが、現在のアルザスに行くと、こういった様子は、簡単にはわかりません。アルザス人に対するフランス人の差別的な意識はだいぶ影をひそめましたし、他方では、特にストラスブールのような大都市では、アルザス人以外の人口比率が増えたせいで、ちょっと見には、あまりアルザス固有の雰囲気や問題も感じられなくなりました。しかし、近頃のアルザスにほんの一、二年滞在したぐらいで、あるいはもっと長くいたとしても、表面だけを見て、現在のアルザスはこれとはずい分違いますよ、などと知ったようなことを言ってはいけません。ちょっと見には見えない仕方ですが、今なお、アルザス人の意識の中には、いろいろ複雑な思いがひそんでいるのです。
 まあ、ともかく、この文で短く指摘したA・ドーデーの 「最後の授業」 という文章の批判は、ドーデーのこの文をほめそやしたい方々は、是非お読みいただいて反省していただきたいと思います。
 この文章は、ところどころ、現在の視点から註を入れました。

 第5章 キリスト教と市民社会――平田清明批判
 これについては、上で、今回の増補方針について、詳しく記しました。
 この章の主題である平田清明の本 (『市民社会と社会主義』、岩波書店) は、当時、つまり68年から71年にかけては、売れに売れたベストセラーでした。しかも、全共闘寄りの学生たちが競って読み、当時は、どこの大学でも、大学祭などに行くと、必ず 「平田清明講演会」 といった立て看板が見られたものです。
 しかし今となっては、この本の表題はもちろん、平田清明の名前も御存じない方がほとんどでしょう。 ベストセラーというのは何なのか、ということを考えさせられる絶好の素材の一つ、というか。
 この人、自称 「マルクス学者」 です。それで名古屋大学経済学部教授、京都大学経済学部教授になった人です。
 そういう位置に居る人が、、カール・マルクスについて、ここまで素人以下の滅茶苦茶な 「知識」 を書きなぐり、それをベストセラーにしてしまった、という現象には、私は今でも憤りを覚えますけれども。 あまりに無責任、無知。
 そもそも語学的に間違いだらけ (間違いなどという程度ではすまない)。
 一文一文、マルクスの文を、まるでとんちんかんに誤解し続ける。
 とんちんかんというのはこういう現象か、という見本みたいなものです。
 当時としては若輩であった私ですが、これを見て、こんなのがベストセラーとして横行したんじゃかなわないよ、と思い、批判を公にしたくなった気持もおわかりいただけると思います。
 しかしこの本、当時においては、マルクスの最もすぐれた入門書の一つとして、もてはやされました。
 そしてその後、日本においては、カール・マルクスは忘れられてしまった。
 最近また、たとえばドイツでは、『資本論』 を読む若い人が多く増えています。
 その意味でも、私のこの評論、特に今回の書き直しが、一種のマルクス入門としてお読みいただければ幸いだと思います。

 もっとも、平田清明批判そのものの部分も、今となっては無用、というものでもありますまい。それ自体としては、今時平田を読む人などいなくなったのだから、どうでもいいみたいなものですが、しかし、あの人の 「言語」 について知ったような顔をして間違った知識を並べたて、その 「知識」 を根拠にして思想を構築する、というやり方は、今でも、この手の思想まがいの詐欺はあちこちで見られますから、こういった方法はとことんまで批判しておく必要がありましょう。その意味では、今お読みいただいても、十分に意味があるのではなかろうかと思います。従ってまた、この部分も、文章がわかり易くなるように、大幅に書き改め、書き足しました。

 第6章 授業拒否の前後――大学闘争と私
 これだけは、いわば個人的な履歴書みたいなものです。
 国際基督教大学の全共闘運動に私がどうかかわり、その結果、どのようにして馘になったか、という記録。
 これまた、今となっては、「全共闘」 という単語の意味も御存じない若い人が増えてしまったから (そもそも、今の若い人は、いやすでに中年のはじまりの人たちも)、全共闘以後に生れたのですから、私としては、何だかひどく時代のへだたりを感じてしまいますが、従ってますます、あの時、実際には何があったのか、ということを伝えておきたい、と思いました。
 原文そのものは、1970年に馘になって、その1年後に書いていますから、まだひどく腹が立った状態で書いてしますし (今でも、私を不当解雇した国際基督教大学に対して、あの時、学生たちに対して、あそこまでひどく、暴力的で、残虐で、かつ、まったく滅茶苦茶な弾圧に狂奔した大学とその当時の教師たちに対して、ひどく腹が立っていますが)、当時の読者なら知っているだろうと思われることはすべていちいち説明しないで書いていますから、今となっては、これもひどく読みにくい文章になっています。
 というわけで、解説的な註を多く書き足しました。
 註と言っても、本文よりも長いくらい。当時を御存じない人々のために、出来事の経過を詳しくお伝えしたかったのが主目的ですが、加えて、多少現在の思いも記しておきたかったからです。

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