新 約 聖 書 ・ 訳 と 註
全 7 巻 8 冊
作品社より、2007年7月27日より第1回配本開始
2017年8月末最終巻(第7巻) 発行
(以下、2017年8月の状態です)
2012年秋 全体の構成を変更しました。
ヨハネ福音書を単独の巻とし、それを第5巻にします。
それにともない、全6巻の予定だったのが全7巻、全8冊になります。
また、第6巻をいわゆる公同書簡とヘブライ書にあて、第7巻は黙示録単独の巻になります。
前回、第2巻の構成を変えたばかりなのに、また変更して、どうもすみません。それぞれの変更の理由は、この頁の後の方に書いてあります。
既刊
第1巻 (マルコ、マタイ福音書) 2008年8月発行、第4刷2014年10月発行
第2巻上 (ルカ福音書) 2011年3月10日発行、第2刷2012年4月発行
第2巻下(使徒行伝) 2011年9月発行、第2刷2014年春発行
第3巻 (パウロその1) 2007年7月発行、第3刷2014年4月発行
第4巻 (パウロその2、擬似パウロ) 2009年7月発行、第2刷2011年9月発行
第5巻 (ヨハネ福音書)、2013年6月発行、第2刷2015年3月発行
第6巻 (公同書簡、ヘブライ書)、2015年3月19日発行
第6巻の詳しい内容紹介は右をクリックして下さい → 第6巻の特色
第7巻 (黙示録)、2017年8月末発行
☆ ☆ ☆
内容紹介 (2007年に書いたもの)
従来の日本語諸訳は、いろいろ問題がありすぎて、これではとても、正確なところ新約聖書に何が書いてあるのか、微細なニュアンスまでは伝わりません。
いえ、微細なニュアンスどころか……。
おまけに、すでにあちこちで指摘してきましたように、古代の書物を翻訳するのに、十分な訳註なしで発行するなどというのは、ほとんど暴挙に近いと思っています。 同じ個所がいろいろ異なって訳しうる可能性があれば (その結果、その文だけでなく、前後関係の意味まで、まるで異なってきてしまう)、単に訳文を一つだけ提示しても仕方がないし、そもそも写本による異読が多くて、どの読みを採用すべきか、決定的な結論は出せない場合が多いのに、まるで正確な本文がわかっているかのような顔をして、ただ訳文だけを並べても、仕方がないではないですか。
それに、既存の聖書の翻訳の日本語の下手なこと! 下手でも正確ならかまいませんが、自分の書く日本語の意味を自分で正確に把握していないから、いろいろニュアンスがずれてしまう。
私も、日本のすぐれた著者たちと比べられたら、 決して、日本語が上手な方だとは申しませんが、既存の聖書翻訳の日本語よりはましな日本語が書けるのではないかと思っています。(本当のところ、古代の書物を現代の日本語に訳すというのは、単に日本語の問題としても、おそろしく難しいには違いないのですが。)
せっかく、新約聖書概論その他を発行しても、読者の方々が、では新約聖書そのものにどう書いてあるか、御自分でチェックなさってみよう、とお思いになった時に、安心して使える翻訳が存在しないと、困るので、新約聖書概論を書きながら、何としてでも自分の翻訳を発行したい、と思うようになりました。
というわけで、概論を出す前に、まず正確な翻訳を発行しようと思った次第です。
実際には、訳註が本文の訳文の十倍以上の分量になっています。 訳註としては、まず正文批判
(しかし分量に限りがあるので、ところどころ)、それから特に、原文が意味不鮮明で、いろいろ異なった理解の可能性のある場合は、主な理解を全部列挙し、その得失を細かく理由をあげて検討。
原文が意味不明の時には (意味不明の文をわかったような顔をして意味が通じるように訳すとしたら、それ自体すでに誤訳だよ)、そのことをはっきりと。
個々の単語、表現の意味を、出来る限り解説 (古代ギリシャ語と現代日本語の距離の遠さからして、単に訳文を提示しただけでは、とても原文の意味を正確に伝えることはできないから、註で、かなりな程度解説する必要)。
そして特に、口語訳、新共同訳の訳文と、一言一句比較して、私訳と異なる場合には、どういう理由で異なるかをしらみつぶしに解説。
翻訳の基本方針。 徹頭徹尾、一言一句、正確に。 古代の文章を、誤魔化さずに、ありのままに、正直に、そのまま再現。
(追、2012年10月。内容的な解説は解説書にゆずって、なるべく書かない方針だったのですが、やはり、その文章がどういう質のものか、どういう著者のどういう見解を示したものか、ある程度は書いておく方が読者の方々にもわかり易いのではなかろうか、と思い、結局、ある程度の分量は書くことになりました。)
全体の概要、及び発行予定(2017年8月13日現在)
第1巻 マルコ、マタイ福音書 (第2回配本)
2008年7月15日発行、A5判、878頁
全体への序文 11頁、 本文の訳 118頁、 訳註 726頁、 解説・後書など 24頁、 ほか
定価 5800円 (税別)
現在第4刷 (2014年10月発行)
第2巻上 ルカ福音書 (第4回配本)
2011年3月10日発行、A5判、534頁
本文の訳 88頁、 訳註 421頁、 解説・後書きなど 23頁、パレスチナの地図、ほか
定価 5200円(税別)
現在第2刷 (2012年4月10日発行)
第2巻下 使徒行伝 (第5回配本)
2011年9月はじめ発行、A5判、約720頁
本文の訳 77頁、 訳註 587頁、 解説など 44頁、 地図3枚添付
定価 5600円(税別)
添付地図の特色について 左の文字をクリックして下さい。
現在第2刷 (2014年春発行)
第3巻 パウロ書簡その1 (第1回配本) 第1テサロニケ、ガラティア、第1、第2コリントス書簡
2007年月27日発行、A5判、568頁
本文の訳 77頁、 訳註 463頁、 解説等 22頁、 ほか
定価 4800円(税別)
現在第3刷 (2014年4月20日発行)
第4巻 パウロ書簡その2、擬似パウロ書簡 (第3回配本)
パウロ書簡、その2 (ローマ、フィリポイ、フィレモン書簡)、
擬似パウロ書簡 (コロサイ、エフェソス、第2テサロニケ、第1、第2ティモテオス、ティトス)
2009年7月17日発行、A5判、820頁
本文の訳 88頁、訳註 681頁、解説・後書など 41頁、ほか
定価 6000円(税別)
現在第2刷 (2011年9月発行)
第5巻 ヨハネ福音書 (第6回配本)
2013年6月25日発行、A5判、798頁
本文の訳 66頁、訳註 679頁、解説等 39頁、ほか14頁
定価 5800円(税別)
現在第2刷 (2015年3月14日発行)
第6巻 公同書簡、ヘブライ書 (第7回配本)
2015年3月19日発行、A5判、848頁
本文の訳 68頁、訳註 724頁、解説等 41頁、ほか15、頁、
定価 6200円 (税別)
詳しい内容紹介はこちら → 第6巻の特色
第7巻 ヨハネ黙示録(第8回配本)
2017年8月末発行、A5版、878頁
本文の訳 41頁、訳註 808頁、解説等 16頁、ほか13頁
以下、最初の発行計画から変更された点
第2巻の構成変更について
第2巻 (ルカ福音書、使徒行伝) は、当初の予定では、まとめて1冊にして発行する予定でしたが、あまりに部厚くなりすぎるので、上記のように、2分冊に分けて発行することにしました。 急な変更、お詫びいたします。
考えてみれば、第3巻(パウロ、その1)は、パウロ4書簡で、本文の訳の頁数が正味76頁、第4巻はパウロ、擬似パウロ9書簡で88頁、第1巻のマルコ、マタイでさえ本文正味合計118頁。
それに対し、ルカ福音書だけで80頁、使徒行伝が77頁ですから、今までと同じぐらいの註をつければ、両方あわせて1巻におさまるわけがありません。
当初の計画が悪かったので、実は、ルカ福音書は、マルコ、マタイで重要なことは書いたから、かなり手を抜くことができるだろう、とたかをくくっていたものです。
しかし、実際にその場になってみれば、せっかくの機会、手を抜くのは残念ですし、重要な問題が多く含まれるので、やはり他の巻と同様に、きっちりと註をつけることにしました。
特に、この際、いわゆるQ資料なるものについて、きっちり決着をつけるべく、それに関連する個所はすべてマタイとの比較を一語一語丁寧にやらかすことにしました。
Q資料がどうのこうのと、知ったようなことを言いたければ、ここまで丁寧にマタイ、ルカの比較をやった上でものを言ってくれ、という次第。
ほかにも、ルカの独得の編集上の傾向、その立っている位置、等々についても、やはり手を抜かずにしっかり書くことにしました。
使徒行伝は、初期キリスト教史については唯一の資料ですから、これははじめから手を抜くつもりはなく、きっちり書く予定でおりましたが、その予定よりも更に少し分量が増えたでしょうか。
そういう次第で、全7巻の合計定価はやや高くなりますが、各分冊の定価はやや低くなりますので、御了承下さいますように。
第5巻以降の構成変更について
もともとの計画では、ヨハネ福音書といわゆる公同書簡 (ヤコブ、第1第2ペテロ、第1〜第3ヨハネ、ユダ書) を組み合わせて一つの巻、というつもりだったのですが、独立させて、単独の巻にします (第5巻)。
実際にやってみると、そもそもヨハネ福音書といわゆる公同書簡はまるで異質の文書ですから、同じ巻におさめるのはどうも違和感が強く、他方、ヨハネ福音書はいろいろな意味で問題が非常に多い文書です。、
1.内容が独得なので、従来多くの人々が興味を持ち、その結果いろいろさまざまなことが言われすぎてきた。
2.正文批判的にも問題が多い。
3.文が文法的語義的に曖昧なところが多く、文意の正確な把握について多くの議論を必要とする。
4.根本的な問題として、これは一人の著者の作品ではない。最初の著者、つまりこの福音書の著者の作品に、後になって、教会的ドグマの視点から大量に挿入がなされた。それを一つ一つ丁寧に、はがしていく必要がある。そのためには、それだけの説得力のある論拠を提出する必要がある。ヨハネ福音書は、いわば、まことに個性ある面白い著者の作品が教会ドグマ的に改竄されていった一つの歴史である。
5.その他いろいろ
従って、どうしても註の分量が非常に多くなります。ヨハネ福音書について私が単独の書物を書くのは、これが最初で最後でしょうから、やはり、必要な議論はなるべく手を抜かずに丁寧に書いておこうと思いました。それで、これだけを単独の巻として独立させることにいたしました。
ヨハネ黙示録についても同様な問題がありますので、こちらも第7巻として独立させます。
そうすると、それ以外のその他の文書を全部まとめて第6巻ということになりました。
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